旧中山道 板橋宿  

08/04/15 晴れ 板橋駅〜旧中山道〜平尾宿〜仲宿〜板橋〜上宿〜板橋本町駅

巣鴨の先を歩いてみました。
旧中山道は日本橋を発し全六九宿(六九次)で京都三条大橋に至りました。
旧中山道第一の宿場であった板橋は平尾宿・中宿・上宿とあり、旅籠54軒、全長約1700mの宿場でありました。
因みに、二次(第二の宿場)は埼玉県蕨市の蕨宿でした。
現在は商店街として賑わっています。普通の喫茶店もあります。こんな商店街、近所に欲しいです!


JR板橋駅東口に出ます。赤い提灯は地元商店会の肝煎り
小さな駅前ロータリィは噴水とベンチがあって迫りくるビルにもめげず、存在感があります。
駅前ロータリィの向こうに近藤勇の墓があります。
ここは近藤が新政府軍に処刑された場所の近くだそうです。
画像クリックで説明板へ

近藤勇は流山で捕縛され、当時板橋に置かれていた
新政府軍の本陣に送られ処刑されました。

墓所のすぐ隣の食堂は近藤勇グッズの販売所でもありました。
ポスター、新撰組絵馬、新撰組と近藤勇文集など。
埼京線の踏切に向かいます。ここは滝野川商店街で北区。 「むすびの欅」の前を通過 ここは平尾宿。
後で見ることになる、「縁切りの榎」にあやかって名付けられたそうです。

この種の歩道上の注意書きは区によって異なりますが
禁煙のみ表示がほとんどと思います。

踏切を超えると、「縁結び通り」商店街。
間口が小規模の店舗が多いです。
古刹「東光寺」 1679年(延宝7年)加賀藩前田家下屋敷が板橋に移転してきた際に、現在地に移ってきた。
将軍は4代家綱の時代でありました。画像クリックで由来へ
東光寺境内にある板橋区の有形文化財「庚申塔」
もうひとつの「石造地蔵菩薩坐像」はマウスオン

同寺境内には宇喜多秀家の墓もありました。
関ヶ原後、八丈島に流され、その地で終焉を迎えるが、秀家の息子が残した子孫は、明治になってから八丈島から東京に移住、秀家夫人の実家が加賀藩であったので、前田家下屋敷があったこの地の東光寺に建立した(パンフレットより)


板橋宿の看板が目に入ってきました。
板橋宿の北側は、加賀藩前田家下屋敷跡。今も加賀町の地名が残っています。
この界隈は毎月第三日曜日は「朝市」があるようです。
いいなぁ。
赤い山門を持つ「観明寺」 画像クリックで由来へ

お稲荷さん、石柵奉納者名 時代は多分、明治。
板橋にもやっちゃ場があったようです。
マウスオンで境内の豊川出世稲荷
観明寺にある都内最古の「庚申塔」
大正時代からの銭湯「花の湯」 
銭湯独特の「唐破風建築」 立派なものです。
煙突はマウスオン 
玄関先にぶら下がっている彫刻は2羽の鶴のように見えます。
「板橋脇本陣跡」 近藤勇が処刑されるまでの間ここに幽閉されていました。マウスオンで説明板
いたばし観光センター ここでパンフレットを入手。
余談ですが、パンフレットに誤りを発見、後日センターにお知らせしました。
王子新道を横断します。
板橋宿 仲宿へと入ります。 「遍照寺」への入口、参道というには荒れ果てた感じ、左側は打ち捨てられた庭の様相。私道のような参道では猫が友好を確かめていました。
奥突き当りがお寺のようでした。
由来はマウスオン
幕が掛かっているところが、遍照寺のようです。まるで普通の民家のようで中を拝見するのも憚られ、中は見ていませんが1798年(寛政10年 11代将軍家斉の時代)建立の馬頭観音があるらしい。 これかなぁ?寛政の馬頭観音は。
商店街にもどると、あら懐かしや、”リヤカー”ではありませんか。現役ではなさそう。 時折、路地をのぞきこむのも楽しいものです。
この界隈の路地は、入り組んでいて、袋小路も多そう。
蛮社の獄で捕縛された「高野長英ゆかりの地」碑
小伝馬町から脱獄した高野が一日かくまわれた
医師水村玄洞宅跡。
スーパーはこの一店舗だけであったように思います。
また、この場所が板橋本陣跡だそうです。
ここから脇に入ります。

「文殊院」 板橋本陣飯田家の菩提寺であった。
画像クリックで説明板
文殊院への途中にありました。
ストーブと思うのですが、高い所に張り付いている意味がよくわからない。
商店街に戻ります。だいぶ人が増えてきた。 路地。ここはせまかった!
逆光、銭湯です。 「板橋」現在の橋は1972年に架橋。
江戸時代は木製の太鼓橋でありました。
1180年に挙兵した源頼朝が“武蔵の国豊島ノ上滝野川ノ板橋に布陣”しており、鎌倉時代にはすでに架橋されていたと考えられる(観光センター資料より)
日本橋から二里二十五町三十三間(十粁六百四十二米)の道標が立っています。 板橋から見た石神井川、両側は桜の木、開花時も見てみたいものだ。

橋を渡ると、上宿
平尾宿、仲宿、上宿と長い商店街で、
医院も、交番もあり
生活しやすい町だなぁと思います。
中山道の北側は学校が多いですしね。

面白看板ですね。
「力士料理」とあります、ちゃんこでしょうかね。
焼鳥屋さん、そそられるにおいしてましたよ。 青いテントは、金物屋さんでした。ほとんどの商品がぶらさがっています。ちょっと異様な景色。

中山道板橋宿上宿碑 交番の隣でした。

板橋宿上宿の説明板
「縁切り榎」 現代では悪縁を断ち良縁を結んでくれるご利益があるという。
江戸末期、和宮降嫁の行列は、不縁となるのを忌み、避けて通ったとのことです。
お社の前に行くと、おみくじの自販機があり、笑ってしまいました。
画像クリックで説明板へ
商店街は、環七に突き当りました。
本日はここまでとしましょう。
左折したところに、東京メトロ板橋本町駅。地下鉄で帰宅。約2時間半の行程でした。
お店を覗いたり、買い物したり、お茶したり、路地に入ってみたりなので、正味1時間半くらいでしょう。
こんな生活のにおいがする町を歩くのも大好き!

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ごらんいただき、ありがとうございました。