銀座から月島まで  2006/12

銀座〜日本橋〜兜町〜築地〜月島:2006/12/16 参加者25名 晴れ
地図上では日本橋からどんどん南を目指します。
高速の下になってしまった日本橋。東海道のはじまりですね。江戸橋をわたるとすぐに兜町に出ます。兜町は金融関連の発祥の地であり、現在も中心です。すぐ近くには、開運橋の橋柱のみが残り、楓川(もみじがわ)は暗渠となっています。
新大橋通りに出て本八丁堀から鉄砲洲通りに入り、真直ぐに築地方面に向かいます。
築地の聖路加病院界隈は明治初期外国人の居留地でした。その関係で○○発祥の地碑が多く見られます。やがて勝鬨橋に出ます。橋を渡って月島に到着です。
約2時間30分の行程でした。



13:25
銀座線三越前駅出発。

三越の裏手ですが、さすが老舗。
重厚感漂う佇まいです。
見とれてしまいました。
「貨幣博物館」
日本銀行の反対側、日本橋三越の並びにある。
13:26 常盤橋から見た日本銀行本店。
設計辰野金吾、1896年竣工。マウスオン
13:31 常盤橋。関東大震災後”1926年12月完成”とあります。
橋の銘はマウスオン
常盤橋
下は日本橋川、上は高速。
奥は、1878年(明治10年)旧常盤橋から架け替えられた常磐橋
旧常盤橋は、江戸城の正面玄関的な役割をはたしていた城郭門「常磐橋御門」の
いちこく見附橋として架けられたもので木造であった。
13:32 一石橋(いちこくはし) 
橋の北岸・南岸の両方に「後藤」の屋敷があったことから「五斗+五斗=一石」という洒落で名づけられたといわれる歴史の古い橋。
大正11年に木橋から鉄筋コンクリート花崗岩貼りの橋となり、関東大震災にも耐え、平成9年に架け替え。
照明つきの一石橋(いちこくはし) 
画像をクリックで一石橋の親柱についての説明板へ
13:36 日本橋に向かいます。 13:40 日本橋一丁目一番1号の住所
13:41 東海道五十三次の基点
日本橋は江戸城下で初めて架けられた木製の橋
火事でたびたび焼失し、19回も架け替えられた。
現在の橋は1912年(明治44年)3月架橋。

橋のたもとに、クリスマスバージョンの装飾をした三越が見えます。

「東京市道路元標」とあります。
橋照明の彫刻はいろいろあり、重厚感があります 乙姫様がいる日本橋魚市場発祥の地碑
江戸時代からここに魚市場があり、広重の保永堂版や行書版にも魚屋が描かれているそうだ。
13:44 江戸橋を渡ります。 現在の江戸橋は関東大震災復興都市計画の一環である「昭和通り」の一部として新設されたもので、元の位置より60〜70mほど上流に架橋された 日本橋郵便局が見えてきます。
13:50 「郵便発祥の地」碑
1871年4月20日郵便制度発足時に現在の東京中央郵便局にあたる東京の郵便役所が置かれたところである。
郵便ポストはグレーでした。マウスオン
もうひとつの碑。
「前島密光生」とあり、下の文字は建立当時の郵政大臣迫水久常揮毫。立派な書体です。

13:53 「開運橋」橋柱。
楓(もみじ)川は埋め立てられ
ありません。

橋柱は二本あり、こちらは紀元
二千五百年と見えます。
1840年ですね。
1876年(明治8年)長さ15m、幅11mの石橋になる。関東大震災被災後1927年(昭和2年)鉄橋に架け替えられた際に橋柱は残されたもの。1962年(昭和37年)楓川の埋め立てにより橋は撤去された。(説明看板より) 橋柱は中央区民文化財として登録されている。

13:56 「銀行発祥の地」碑。
マウスオンで説明文
1873年日本最初の銀行国立第一銀行が創立された地。日本橋兜町4丁目にあり、今もみずほ銀行が営業中。
13:59 「日枝神社」脇を通り、永代通りへ
14:03 新大橋通りに入ります。 新大橋通りの鋪道は、自転車と歩行者の通路を区別するようになっています。
頭の上にも注意書きがあるのだ。
マウスオン
14:15 新大橋通り、本八丁堀を左折で「高橋」へでます。橋の袂のガソリンスタンドの看板はそのものズバリ「油」です。 14:17 高橋(マウスオン)は渡らないで、鉄砲洲通りに入りました。

14:20 中央区民文化財「鐵砲洲稲荷神社」 
例年1月第二日曜日に寒中水泳大会が開催されます。
鐵砲洲の由来は、江戸の頃、大筒の試し撃ちをした場所とか、海岸に沿って鉄砲のような形の町に見えた等諸説があるのこと。
江戸時代に、米塩酒薪炭をはじめほとんどの消費物資は鐵砲洲の湊へ入ってきた。このため、鐵砲洲生成太神の名は船乗人の海上守護の神として全国に広まった。(神社HPより)

富士塚は神社奥にあります。

鐵砲洲稲荷神社の「針塚」です。

神社のすぐ隣には公園が・・・
トイレもありました。
14:24 聖路加タワーが見えてきました 14:39 「女子聖学院発祥の地」碑
江戸時代の灯台の形、照明部分に校章があり、素材の御影石は地の塩を表しているそうです。
14:40 「明治学院発祥の地」碑
”1877年、ここに開設された東京一致神学校を基とする”とあります。
14:43 「ヘンリー・フォールズ住居跡」碑
日本の拇印に興味を抱いたヘンリーは、発掘された土器に古代人の指紋を発見し、これにヒントを得て初めて科学的な指紋の研究を行い、1880年ネイチャー誌に日本から投稿した。これが世界初の科学的指紋法に関する論文となった。
日本は1911年指紋法を採用。
聖路加国際病院 「立教学院発祥の地」碑
”1874年ウィリアムズ主教が開く すべての人に仕える者になりなさい”とあります。
14:48 聖路加ガーデン 
セントルークスタワー47階からの眺望、
隅田川と勝鬨橋
この展望台は無料で180度の展望
15:07 あかつき公園内シーボルト胸像
娘のイネが築地に日本初の産院を開いたこと、シーボルトも日本の蘭学発展に寄与したことなどからこの地に建立。胸像はオランダ、ライデン大学他の協力により中央区に寄贈されたもの。
画像クリックで説明板へ。
「電信創業記念碑」 画像クリックで説明板へ
”1869年横浜裁判所と東京築地運上所内に設けられた「傳信機役所」を結ぶ約32kmの電信線架設工事が開始され、同年12月25日に業務を開始した。これが、我が国における公衆電信通信の最初である。”とあります。
15:16 築地市場
勝鬨橋のたもとです。
このあたりは魚のにおいがします。
「かちときのわたし」碑 
「かちとき」は勝鬨
1906年(明治38年)、日露戦争の旅順陥落を祝って有志が「かちどきの渡し」という 渡し船の施設を作ったのが由来。
資料館の看板はマウスオン
橋自体は1933年(昭和8年)着工、1940年(昭和15年)に完成
かちときの渡しの船着場は、現在の築地場外市場の波除神社あたりにあったのだ。
15:21 月島に渡ります。
橋には沢山の照明装置があり、夜間のライトアップはきれいです。隅田川を行く観光船からも見えます。
勝鬨橋が跳ね上がったときの様子
橋の中央分離帯境目には、橋開閉の様子、4段階がこのようなすかしぼりで飾られています。
勝鬨橋の中央、跳ね上がる部分
1970年(昭和43年)までは、1日5回
20分ずつ開いていたが、その後交通渋滞問題などで2度と開くことはなくなりました。
「にしなかばし」
勝鬨橋を渡ったら、交番の角を左折し、にしなかばしを渡ります。
西仲橋から隅田川方向
お座敷舟が沢山繋留されていました。
水門を出ると隅田川。
15:35 月島西仲商店街到着
もんじゃやさんばかりで驚きます。
もんじゃを食べたあとは口内のうわあごを火傷していました。


コース設定下見の際に見かけた史蹟
「門跡橋」橋柱 
築地本願寺駐車場脇にありました。
”昭和3年6月復興局建”とみえます。
1928年ですから関東大震災後再建されたものでしょうね。
埋め立てられた築地川に架橋されていたもの。
「京橋」橋柱
”この橋柱は明治8年に石造りに架け換えられた 擬宝珠欄干の親柱の橋名は明治の詩人佐々木支陰が揮毫した  昭和13年5月”とありました。
大正11年末に改築された橋は、1958年(昭和34年)に埋め立てが完了した京橋川に架橋されていた。
もうひとつの橋柱は照明つき、
マウスオン

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ごらんいただき、ありがとうございました。