かこたんの なんでもフリーク  外堀通を行く 四谷〜浅草橋

四谷〜市ヶ谷〜牛込〜飯田橋〜お茶の水〜万世橋〜浅草橋 隅田川へと注ぎます
ほぼJR線と同じ


四谷見附跡 枡形の四谷御門があった、ロータリーが枡のなかであったのであろう。一番近い橋は半蔵門であるが、直線では行けなかったのだ。 四谷見附橋 
橋と、門とがづれているのは喰違いといって、橋と門の入口が真直ぐにつながっていないのだ。このような防衛の仕掛けがあったのですね。
1987年(昭和62年)架替工事竣工。長45m、幅40mとなった。旧四谷見附橋は1913年(大正2年)に竣工。上路式鋼製アーチ橋で、長37m、幅約22mで都内最古の陸橋であった。旧橋は解体が予定されていたが1993年八王子長池公園内に移築復元され長池見附橋となった。
1976年頃の四谷 三輪自動車が走っています。 外堀通沿いに公園となっている。
濠は野球場、テニスコート、遊具を備えた公園 外堀通と靖国通りの分岐点市ヶ谷八幡の少し手前に「高力坂」
坂道と言う感じはほとんどなかったが・・・。
市ヶ谷〜牛込はこちらへどうぞ
巨大な飯田橋ランプ  江戸時代は飯田橋はありませんでした。
明治になってから架橋されました。
飯田橋 飯田橋駅で車内から見た交差点、左が飯田橋で右が船河原橋です。
船河原橋 1965年頃までこの橋の上流を江戸川、下流を神田川と呼んでいた。
なぜこの橋はピンク色なのかしら?
川に沿っての歩道は植栽や、水流の小川(水はなかったが)を眺めながらの散策ができるようになっている。
しかし、このとおり。占拠されております。お鍋がコンロにかかっておりました。 まもなく白山通りを横断

神田川・日本橋川分岐
左側神田川本流。

水道橋〜船河原橋の河岸一帯を「市兵衛河岸」といった。
往時は客船や荷揚げでにぎわったのですね。
小石川橋 1927年架橋されたもの
1636年小石川見附として構築、橋もかけられた。
小石川方面への出入り口であったところから「小石川口」と呼ばれた。1792年見つけの渡り櫓(石垣の上の構築物)焼失、再建されないまま明治を迎え、1873年取り壊された。(説明文より)
後楽橋から見た小石川橋
船は廃棄物蒐集船。
反対側に、発見。バンから下車して歩道を歩き始めたところ。 後楽橋 1927年架橋
左がゴミの積載用施設
廃棄物の積み込み作業場があり、都内で発生する廃棄物を運搬船に積込作業中。緑の船の後の部分に、だっと落下していました。
ビッグエッグに向かう後楽ブリッジ上で身繕い
お客さんと一緒に渡っていました。
東京ドーム 2000年竣工
旧後楽園の前は日本帝国陸軍砲兵工廠であった。
旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ
旧後楽園建設時には、あまりの強固さにグランド部分の基礎レンガは取り除かれなかったが、2000年竣工の東京ドーム建設時に地下5mから出土、採取。このレンガの現在地は旧後楽園球場のセンター位置にあたる。(説明文より)

後楽橋下 大きな鯉がいっぱい。投げられたパンくずに鯉とカモメが集まってきた。 右は水道橋駅の一部
水道橋 木製の掛樋の橋であったようで、地名が水道橋と言っていたようだ。その後震災復興で1928年に架設されるが、白山通り拡幅のため1988年に現在の橋となった。 水道橋からすぐに、流水公園のようになっています。

「お茶の水分水路」
緑色が、神田上水の流れ。
下は現在の東京ドーム、小石川後楽園(旧水戸藩屋敷)へと続きました。
「お茶の水分水路」碑
「神田上水掛樋跡」碑 元の水道橋の位置。
江戸時代の神田上水は1901年(明治39年)まで給水を続けたそうです。
掛樋の様子はマウスオン
お茶の水橋
駅名は「御茶ノ水」と書くのですね。理由はわかりませんが・・・。

お茶の水〜万世橋〜浅草橋

↑1856年の江戸 現在地は御茶ノ水駅

家康は江戸の飲料水を確保するために平川を改修し、神田上水を整備した。二代将軍秀忠は江戸城警備のため平川を天然の堀とすることを企図した。
神田台と呼ばれる台地が本郷から伸びていたため、これを掘り割り、御茶ノ水に人工の谷を造った。秀忠の改修によって平川のもとの川筋は江戸城の堀となり、東に流れるようになった平川は神田川と呼ばれるようになった。
神田台の掘割の西には水道橋がかけられ、神田上水は日本橋まで給水可能となった。


本郷の東京都水道歴史館に資料があります。見学したときの様子です。
お茶の水碑 お茶の水橋脇の交番横にあります。
マウスオンで「お茶の水」
お茶の水橋からみた聖橋
お茶の水界隈の案内 東京医科歯科大学の校舎のひとつ、建物上のレリーフが気になって・・マウスオン
聖橋 
1027年築造 山田守デザインのアーチ橋、北に渡れば、湯島天神、神田明神がある。
なお医科歯科大の駐車場あたりに貝塚があるはづ。未確認ですが。
「近代教育発祥の地」碑
昌平坂学問所があった場所、明治維新後政府に引き継がれ東京大学へと発展していった。
湯島聖堂近くにありますので、聖橋の上から行きます。
聖橋から御茶ノ水駅
ホームが見えるのが中央線、下は地下鉄丸の内線が走る。
聖橋からお茶の水橋
昌平橋まで淡路坂(一口坂)を下りましょう。左が線路
右側に鈴木淡路の守の屋敷があったことから町名、坂名がついたといわれている(説明文より)
太い木の幹に祀られている「太田姫稲荷元宮」
半蔵門駅近くには、ビルに張り付くように太田姫稲荷神社の分社がありました。マウスオン
太田姫とは道灌の娘。娘の病気治癒のお礼に一口稲荷を勧請。江戸城内にお祀りしたが、家康が入城の際にここ、駿河台の淡路坂に遷した。(説明文より)
蜀山人終焉の地 太田姫稲荷元宮の反対側
狂歌・狂詩・狂文・洒落本・黄表紙・随筆など多才、1812年からここに居住、1823年没した。
淡路坂は、かなり急な下りです。
万世橋まで続くJR線路が走る高架下のレンガ積み丸く空いているところは店舗が入っていたようだ。
昌平橋 1797年開講の幕府直営の漢学校である昌平橋学問所に因む名前 昌平橋架道橋 上を走るのは総武線
人が歩いているのは昌平橋

1962年架橋のドイツ製ガーター橋 
昌平橋たもとに口をを空けているところは「お茶の水分水路」
これはお茶の水方面から続く分水路(地下バイパス水路)の出口。
赤レンガは旧万世橋高架駅舎 
1912年〜1912年営業
奥は万世橋
現在地近くの昌平橋の上、筋違橋が万世橋の前身
(1856年の江戸)
万世橋  初めは、1872年に筋違見附を取り壊した石材で架橋、洪水、震災にあう。震災後1930年に復興。  
橋欄干は蒸気機関車のシルエットだった。
マウスオン

旧甲武鉄道の万世橋駅は前「交通博物館」として利用されていたが、2006年同博物館は鉄道博物館として埼玉に移転。
東京駅を設計した辰野金吾が設計。
1等、2等待合室・食堂・バー・会議室等を備える豪華な赤煉瓦造りで、中央本線の終着駅であったが、すぐに東京方面への高架線が開通してしまったため、終着駅としては殆ど機能しなかった。

外神田1丁目一番地は「東京国道事務所」でした
秋葉原駅前です。マウスオンでチラシ配りの”萌え”ちゃんたち
佐久間橋跡 「昭和四年四月完成」とあります。
日本鉄道の貨物取扱所が秋葉原に開設された際に神田川から駅構内までの荷物運搬用水路が掘られた。その水路にかけられた。
神田佐久間河岸と言う地名からついたらしい。
進行方向に佐久間橋公園があります。
その突き当たりは「神田川和泉橋防災船着場」でした。災害時の住民の避難や救援物資の輸送のための船着場。

和泉橋
伊勢国津藩主であった藤堂和泉守屋敷前に架かっていたことから和泉橋といわれた。現在の神田和泉町の町名が残っているあたり。
和泉橋は1892年(明治25年)に鉄橋となり1916年(大正5年)に鋼橋に架け替えられ、さらに1927年(昭和2年)帝都復興事業の一環で拡張され現在に至る。

何も説明がなかったけれど、たぶんこれが旧泉橋の親柱と思う。 別の方向はマウスオン
神田川南側の柳原通りから柳森神社に寄りましょう。
1856年の江戸地図上に柳原富士とあるところが柳森神社。
柳森神社 入るとすぐに、もう川っぷち。
この界隈は柳原土手と呼ばれ、最初は大名・旗本が住み、江戸時代後半には古着を扱う商人が集まるようになった。維新後は古着市場が開設され、U戦後は繊維の町として、日本の繊維産業を支えた。

神社内力石群 
千代田区指定有形民俗文化財
大正年間当時の有名力士神田川徳蔵とその一派が使っていたとされるもの(説明文より)

立派に残る、柳原富士
この神社はタヌキ信仰もあるのだ。 ここからは柳原通りを行きます。
美倉橋
現在の橋は震災復興局により架橋されたもの。
水道管が併設されている。マウスオン
美倉橋から神田川 左兵衛門橋 明治8年架橋、もとは有料の橋であった。これは震災後復興局により架橋されたもの。
橋詰に庄内藩酒井左兵衛門尉邸があり、この地を左兵衛門河岸と呼んでいた。
のち1890年に町名となった。
左兵衛門橋たもとにあったトイレ。
千代田区の紋章入り、蔵造りのスタイルでなかなか凝っています。
だんだん、屋形船が見えるようになってきた。
浅草橋、やはり震災後復興局により架橋されたもの。
浅草橋は江戸36見附の一つ、浅草橋御門として寛永年間に架設。。奥州街道の起点となっていたため、徳川時代、神田川に架かる橋としては重要な橋であった。当然警備も厳しかったであろう。
浅草橋御門にあった見附跡、遺構はなにもありません。
篠塚稲荷 新田の家臣、篠塚伊賀守がこの社を信仰し、晩年入道して社の側に庵室を造って住んだという。商売繁昌、火防の神として信仰されている。 寄進者の名前がすごかった。
やがて、柳橋に出ます。
はじめは、川口出口の橋といったのですね。
もうここは、隅田川との合流点です。両国橋が見えています。

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ごらんいただき、ありがとうございました。