麹町〜牛込〜神楽坂

麹町4丁目13:35〜市ヶ谷見附〜新見附橋〜飯田橋〜神楽坂〜牛込神楽坂16:26
約3時間でした。Aは牛込城跡(光照寺)、Bは牛込見附跡。


麹町4丁目から日本テレビ通にはいります。
江戸時代、この界隈は武家屋敷が立ち並んでいたが明治時代は伯爵・子爵・官吏の邸宅が立ち並び高級住宅地となった。
番町の地名は、江戸城に入った家康が城の防備を固める為、城の西側に「大番組」と言う警備の旗本たちを住まわせたところから、「番町」と言われるようになった。
日本テレビ前は麹町ニ番町
日本テレビは1952年開局。当時海抜184mのテレビ搭を持っていた。
2003年汐留に本社を移転。
途中新宿通りを横断し、新坂を下りきると市ヶ谷に出ます。
外堀通は、左に行きますがやはり下りとなります。
市ヶ谷橋。渡ると外堀通。橋の下にはJR駅があります。ここには市ヶ谷見附がありました。
見附跡と地図にありますが、見つけられませんでした。
市ヶ谷見附交差点は外堀通。
見附の、「枡形門」の形はマウスオン
外堀通から見た市ヶ谷駅。堀の内側の方が高度が高いのがわかる。
マウスオン
で電車がいる駅です。
たくさんのカモがのんびりとしていました。 橋にそってある水道管。
駅のまん前、釣堀です。
賑わっていました。
ホームが目の前なので、電車待ちの人と目が合いそう。
外堀通を新見附橋まで行きます。左手高いビルは法政大学です。
こちらにも太公望がいますね。どこから降りたのかしら?
堀沿いに写っている枯れ木はサクラです。
中央線と総武線、奥にも電車がいましたよ。 この堀はここまでですが、堰堤で堰止めたようになっており、電車の上が新見附橋だ。
水門があった。水位の調節をしているらしい。
堰堤から見た、牛込堀、突き当たりは飯田橋。 新見附橋は崩落防止工事中でありました。
マウスオン、元の橋の位置でしょうか。
「外堀公園」にはいります。 公園遊歩道は整備されている。
都内で邪魔者のカラスは、公園内で悠々と落ち着いています。 これ、元は積み重なっていた?
2箇所ほどこの状態であった。
サクラにヤツデでしょうか、葉が出ています。
ヤツデは寄生しましたっけ?
法政大学あたりの遊歩道。
牛込見附跡。1636年完成。反対側にも残っていて、枡形門であったことがよく判ります。
よく残っています。マウスオン反対側。
江戸時代の牛込見附門図
石垣の上に建物があったのです。
江戸時代は上州道の出口であり交通の拠点であった。周辺は楓が植えられ紅葉時は見事であったそうです。
多分交差点の中が、枡形の中庭であったのだろう。 少しがっかりの牛込橋

牛込橋から神楽坂通に入ります。
すぐに登りとなります。
神楽坂の地名由来は、近くにあった、穴八幡、若宮八幡などの神楽が聞こえたなど神楽に因んだ諸説がある
見附の堀側。
通りには、このMapが、2ヶ所ありました。 明治初期の神楽坂、電信柱が見えますね。
最初の小路、神楽小路。 本多横町。こういう横丁とか小路のほうがおもしろいのだ。
「みちくさ横丁」は神楽小路をさらに右折することになります。 夜の神楽坂です。

芸者さんの出勤風景
毘沙門天 マウスオンで夜の毘沙門天
丁度向かい側の、2階のレストランから。
毘沙門天横の善國寺横から、かなり急な地蔵坂を登る。クリックで地蔵坂のいわれ
坂が平坦になったところで左手にある「光照寺」
ここは「牛込城址」。
戦国時代にこの地域の領主であった牛込氏の居城であった。
クリックで説明文へ
光照寺本堂

光照寺鐘楼、戦災で焼失、梵鐘は供出しましたが、無事で戦後返還されたもの。
1993年鐘楼新築の際、梵鐘も復元。
マウスオンで梵鐘拡大

境内にあった、「海ほおづきの塚」
安政3年神楽坂地図。文字の向きは玄関・入口を指します。
毘沙門天、善國寺、光照寺、現在と位置が同じですね。
こんな名前のお店がありました。 神楽坂坂上交差点。ここを左に行き大江戸線牛込神楽坂駅から帰宅。

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ごらんいただき、ありがとうございました。